霊操


イエズス会というカトリックの男子修道会の創立者ロヨラの聖イグナチオは、騎士として名誉を重んじる武人でした。主君のために戦場で武勲を立て、皆に称賛され、栄誉を与えられ、身分ある貴婦人にその名誉を捧げることを夢見ていました。イマジネーションが豊かな人でしたので、その様子をとてもリアルに想像していたようです。
パンプロ―ナの戦いで彼は重傷を負って、ロヨラ城まで苦しみながら搬送され、そこで長い療養生活を送らなければなりませんでした。暇つぶしに騎士物語でも読みたかったのですが、あいにく、城内には聖書とか聖人伝しかありませんでした。それらを読み進むうちに彼の心に変化が現れたのです。
世俗の栄誉を追うことのむなしさを思い、王の王である神に栄光を帰することの素晴らしさ、現世の貴婦人に対してではなく、聖母マリアに忠実に生きることの素晴らしさを思うようになり、回心の道を歩むことになったのです。
マンレサの洞窟にこもった彼は10カ月余に及ぶ長い祈りの生活に入り、父なる神を思い、キリストを主君として仕え、キリストの騎士として生きていくには、どうしたらよいかを、得意のイマジネーションを使って、さまざまに黙想しました。
そののち、この黙想を同志たちも経験できるようにと、編み出した祈りの道、それが「霊操」です。身体のエクササイズを「体操」というように、霊のエクササイズなので「霊操」といいます。

霊操全体を体験するには30日かかります。イエズス会員は養成の過程で30日の霊操を経験して修道者として生きる約束、「誓願」を立てます。CLCメンバーも永久誓約の前に30日の霊操が勧められていますし、人生の節目に体験する人もいます。

8日間の簡略化したプログラムもあります。黙想の家では毎月のように、8日間の霊操が開催され、多くの修道者、信徒が参加しています。また、3日間でその一部を体験するコースもよく行われます。
CLCメンバーは、機会を作って、いずれかのコースに年に1回程度参加するように勧められています。実際に、毎年、霊操に参加するのはなかなか難しいですが、日常生活を送りながら、一日の間に一定の祈りの時間を取って黙想する「日常生活の霊操」をする人も多いです。

大切なのは、霊操に基づく生き方を生きることです。そのために毎日の生活を振り返るときに、生活の中で起こったこと、自分が選んだ行動に伴って、どんな心の動きがあったかをしっかり見ます。み旨にかなう生き方ができた時は、落ち着いた静かな喜びがあることでしょう。反対に、み旨にかなわない生き方を選んでしまった時には、落ち着きのなさ、違和感、心の深いところにわだかまりが残ったりすることでしょう。
こうして、キリストの心を心とするクリスチャンとしての生き方をしていくための道しるべ、それが霊操です。この生き方を「イグナチオ的霊性を生きる」とか、「識別的生き方」などということがあります。
霊操はCLCにとって固有の霊性の源泉です。(『CLCの生き方』No.5)